皆さんからの体験談  その1  その2私の体験談   
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私の体験談     皆さんからの体験談/その1その2 
これまで講習会でも、このサイトでも、全くしなかった訳ではありませんけれど、体験談についてはあまり触れてきませんでした。
明確な理由はありませんけれど、正心調息法を実践し、さらに講習会を開催するに当たって、「奇跡的なことが起きないのなら、正心調息法から自分は離れるのかどうか」と自問したことが一つの要因かも知れません。

もう一つは、これまで幾つかの講習会をお手伝いして感じたことです。
貴重な体験談を持つ方にその話をしていただくと、実体験だけに参加者の方々はとても感激し、励まされます。そこまでは良いのですが、そのうちその体験談を持つ人を、まるで正心調息法のスターのように扱って群がり始めたりします。それが続くと、人によっては自分がスターであるかのように接し始め、講習会などで人前で話す機会を与えられないと不機嫌になったりする(苦笑)。どうも人間にとって、注目を浴びながら人前で話すというのは、とっても魅力的なことであるようです。
これからいろいろな方の体験談を掲載して行きますけれど、皆さんにご理解いただきたいことは次のことです。

他人の体験談が如何に奇跡的な出来事に思えても
、それは各自が自分にも起こし得る出来事である。

それをくれぐれも忘れないようにしてください。
私の体験談
非成功例-1999年12月
「正心調息法と大断言」のサイトにも掲載されていますけれど、まずは「非成功例」から始めます。
なぜ「非成功例」からかというと、やはり私の原体験となっているからです。「正心調息法と大断言」の管理人さんにも、成功例だけでなく、うまく行かなかったことも載せるべきと無理を言って掲載していただいた経緯もあります。下記は基本的には同サイトからの転載ですけれど、多少の直しは入れてあります。


1999年12月17日に正心調息法にも縁の深い矢吹紫帆さんのコンサートを東京都北区で企画しました。これまでの経験上、DMやチラシの設置はあまり効果が出ないので、告知面ではヒーリング系のイベント等が有ればチラシを配布させてもらう等々のことは別にして、より多くの人に告知する手段として次のように考えました。

■先発:当事者の出演する東京での11月初旬のイベントでの
     チラシ配布。

■中継ぎ:精神世界系の会報誌への情報掲載
  ①会報誌A(11月中旬発行予定/約8千部)
  ②会報誌B(11月末発行予定/数千部)

■押さえ:地区特性を考えて埼玉産経リビングへの
      広告掲載(11月下旬)

「先発」のチラシ配布はできたものの予約は動かず、「中継ぎ」に期待を懸けていたところ、11月20日頃、会報誌Bには記事が間に合わず、掲載されていないことが判明。あわてて会報誌Aにも確認を入れた所、発行が遅れて12月9日位になるとのこと。

これではほとんど効果が期待薄なので、俄然期待が掛かってきたのが「押さえ」です。ところが掲載紙が送られてきて内容を見たら、なんと連絡先の電話番号間違い。ここにいたって「大量告知」の手段は完璧に閉ざされることになりました。

この時点では中止または大量招待と言う選択しか現実的には残されていませんでしたが、両方ともできればやりたくない。頭の中に浮かんだのは「正心調息法」です。「百事如意、今こそ試せ!」と言われている気がして、出演者にも確認をした上で挑戦してみました。
11月下旬でまだ予約が10名程度、会場は300名定員です。約20日間でどこまで埋められるのか。立会人に勝手ながら「管理人」さんをメールで指名しました。正心調息法は途切れ途切れには続けていましたが、今回は本気で継続的にやってみました。

各方面にもいろいろとご協力をいただきましたが、結果としては70名ほどの入場者でした。矢吹さんサイドからは一応効果があったと考えて良いのではとの慰めもいただきましたが、経費も全くでない結果ですから、納得はできません。管理人さんも効果はなかったと判断せざるをえないとのことでしたが、私自身も同じ思いでした。

効果が出なかったのは何故か。
理由はいくつも考えられますが、全て後づけの感を免れません。では正心調息法は効果がないのか。「これこれこうだったから」と条件を付ければ「百事如意」から外れてしまいます。
現状はやはり「効果があることもないこともある」としか言い様がないように感じます。判断保留の気持も込めて、今回の件は私としては「『非』成功例」とするに留めます。

ただ私は「病気」(これも範囲が広すぎますが)に関しては、正心調息法はかなり効果がある筈と考えています。いわゆる偽薬効果とか思い込み効果とか呼ばれる「プラシーボ効果」というものがある以上、有効である筈です。身体的なものや社会事象に関しては、自身でこれは経験してみないと解らないのでは、というのが本音です。
今回の体験で私自身に起きた変化は、とにかく理屈でなく正心調息法を実践してみようという気になったことです。コンサート終了後も、毎日欠かさず正心調息法を継続しております。



結局はどう考えても「成功」とは言えないわけですけれど、「失敗例」とせずに「非成功例」とした訳は、その時々ではわからないけれど、それはそれなりに意味があるのかもしれないということでした。その思いはその後講習会を継続的に開催していく中で、なかなか参加者が集まらない永い時期にも、逆に支えになっていきました。正心調息法はその後もそのやり方や皆様にも伝えられるような言葉を探しながら、時間がない時でもできる限り深い呼吸に気をつけながら続けています。

最初のご褒美-2000年2月
上記の「非成功例」の直後、私にとっては画期的な出来事がやってきました。
私がいくつか関わっている活動の一つに、「フォーラムはいぽ2課」という語呂合わせの名前をつけたものがあります。1985年のつくば万博の日本政府館での展示やドキュメンタリー映画「地球交響曲」シリーズの「第1番」の縦糸の物語として紹介され、多くの方に感銘を与えている「トマトの巨木」を創り出したハイポニカ農法に関する任意団体です。

同農法は、ともすればその大きさ、一つの種からの収穫量の多さに注目が行きがちです。私はそれはそれとしても、ハイポニカ農法の別の側面として、その成長の速度に興味を惹かれました。身近でさの成長の勢いを実感すると、そこに「感動の場」ができるのではないか。とくに小中学生の側で育つと、そこから大人も巻き込むような感動の場が現出するのではないかと考えていたのです。
そしてそれが実現します。
知人が都下のある小学校に同農法の家庭用栽培器であるホームハイポニカを、全額負担ではなかったようですか寄贈しました。トマトは大きく育ち、沢山の実りをもたらし、栽培に立ち会った当時小2の子どもたちから、後に「はいぽに歌」と名付けた珠玉の詩が生まれました(1999年1月)。それをあちこちに紹介しているうちに、知り合いの女性ライターが教育新聞に記事を載せてくれたりしました。

その年の年末、あるグループの仲間と忘年会を開きました。一つ議題としてあったのは、グループとしては既に流れ解散的になっていたものの、それまでの活動により残っていた20万円強の資金の使い道でした。そこでも子どもたちの詩を紹介しましたが、メンバーの一人からこの資金で詩集を作ったらどうかという提案がありました。本を作るのにどれくらいの費用が必要なのかも知らなかったので、最初は「えっ!?」と思いましたが、直ぐに頭の中は「本作り」で一杯になってしまいました。

とはいうものの、何処の誰に相談すれば、そしてどういう条件を詰めれば本を出せるのか、皆目見当がつきません。子どもたちの詩ですから、学校の承認、さらにはそれぞれの親たちにも個別に了解を得なければいけないかもしれません。結構大変な仕事になりそうに思えました。
そんな中、年が明けてから、あまり深く考えたわけでもなく、正心調息法で「詩集ができた、できた」とやり始めたのです。すると急に事態が動き始めました。

2月の初めに件の女性ライターに電話をしました。詩集には彼女が書いてくれた記事も掲載したくて、打診したのです。すると彼女は「そうだよねぇ、あの詩は評判いいものね」と言うのです。何のことかと思ったら、10日後くらいに開催される地球交響曲第1番の上映会で、子どもたちの詩を紹介するという動きがあるとの事。その上映会があること自体、そしてハイポニカ農法の開発者・野澤重雄先生と同映画監督の龍村仁氏の対談も予定されていることも知ってはいました。ただ体調によっては野澤氏は来ないかも知れないという案内があったのと、別な用事が有ったため行く予定にはしていませんでした。

2日ほど経ってまた彼女に電話すると、今度は彼女が当日の司会をすることになりそうだと言います。そうなるとムクムクっとある考えが立ち上がってきます。
実は「地球交響曲第1番」には「秘話」があります。トマトの巨木が完熟の実をたわわに実らせているシーンは、同映画の重要な位置を占めるのですが、撮影の日程の都合上、なかなか最後の撮影に行けなかった。もう限界と言われた日を10日も過ぎて撮影隊が現場に行ったら、なんとかトマトの樹は持ちこたえてくれていた。そして映像を撮り終えて撮影隊が帰ったら、残っていた5,000個ほどの完熟の実がその晩のうちに一斉に落下してしまった。この話に感激した私は別途「ありがとう、トマト君」というスライド紙芝居を作っていました。それをこの上映会の日に上映させてもらえないかという提案したのです。

2000年(H12年)2月12日(土)。私にとっての忘れられない日となりました。
「地球交響曲第1番」上映、野澤先生と龍村監督との講演または対談、スライド紙芝居「ありトマ」上演、そして子どもたちの詩の紹介。これらを組み合わせた催しは主催でなくてはできそうもなく、やりたいという強い想いはあったものの様々な条件を考えて二の足を踏んでいました。それが他人主催の催しの中で、全て実現してしまったのです。
この日、私は「詩集」が完成することを確信しました。

その後は、学校関係や保護者の方への確認も印刷会社の手配も順調に進み、さらには上映会当日行われた野澤先生と龍村監督の対談の概要も収録できることになり、「詩集/はいぽに歌」は7月に完成。1学期の終わりには子どもたちに贈呈式も行いました。
この頃の私は起こった事実に感動を超えて舞い上がっており、正心調息法で「詩集ができた!!」と想念・内観していたことさえ頭からすっ飛んでいました。これが正心調息法の最初のご褒美であったことに気付くのは、しばらく経ってからのことです(苦笑)。
最後に「詩集」あとがきに書いた舞い上がった一節を紹介して、この項の締めとしておきます。

 「物事はそれが必要な時には繋がる」んだということを100%、
 「世の中の全ての出来事に偶然はない」ということを75%くらい信じさせてくれた出来事です


花粉症が一発で治った-2001年3月
花粉症で悩まれている方はたくさんおられます。新聞の報道によると日本だけの事態ではないようですね。
私は鼻の病気については永~いつきあいです。子どもの頃は蓄膿症で、いわゆる洟垂れ小僧。小学校時代に完治したものの、高校生の頃からは今度はアレルギー性鼻炎に罹りました。これは良くもならず悪くもならずという状態で、現在も続いています。その所為か、若干臭覚に鈍い面があります。

ですが、花粉症が世間の話題になるようになっても、私自身にはなぜか花粉症の症状は出ませんでした。真っ先に罹りそうなのになんでだろう、などと考えていたら、いよいよやってきました。春3月中旬、街中を歩いていたら、くしゃみは出るわ、鼻水は出るわ。そこで、たまたまその3日ほど前に日経新聞の記事で読んだ「鼻呼吸」と正心調息法で試してみました。すると、本人もビックリの、あっさりな脱出。この辺の経緯は、当時ある会報に寄稿しましたので、そのPDF資料をご参照ください。

 「待望?の花粉症宣言、そして『あれ!?』」   ※2001年5月頃の文章だと思います。

その後ですけれど、軽い症状はまだ残っているようです。でも鼻呼吸を心がけていると、それ以上重くはならないようです。2005年春の花粉大襲来の時も、1日ティッシュ10枚までは必要としませんでした。現時点(2007年春)でも、多少目が痒くて、鼻がグシュグシュしてますが、大量のティッシュのお世話にはならず、1日4、5枚ほどで済んでいます。症状自体が出るのは、TVなどの「花粉が飛び始めました」なんて情報よりも早いです。この辺は皆さんも同じかも知れませんけど。
鼻呼吸」も含め、人間が本来持っている機能を有効に使うようにすると、無駄な出費もいらなくなるのかもしれませんね。

絶版の本が目の前に現われた-2003年1月
直接、正心調息法と関係が有るわけでもなく、正心調息法で想念・内観を発したからというわけでもないのですが、私にとっては衝撃的だった話です。

「生きがいの創造」の著者・飯田史彦先生の本を読んでいて、祈りが効果があるという実験データが出ているという話を知りました。そのことが書かれていると紹介されていたのが、右に画像を載せた「魂の再発見」でした。

ぜひ読みたいと思ったのですが、既に絶版。あちこちの図書館も当たってみたのですが蔵書になく、ようやく国立国会図書館で見つけました。この図書館は貸出はなく閲覧のみなので、やむなく何度か通って必要な所だけ抜書きしておきました。たしかにいろいろな祈りに関する実験の結果が紹介されていて参考になったのですが、実は「祈りの実験結果」について紹介しているだけの本ではありませんでした。なにを謂わんとしてるのか理解できないのだけれども、妙に心に引っ掛かる内容だったのです。

この本をぜひ手元に置いてゆっくりと読みたいと思ったのですが、なにせ絶版。しかもそんなに沢山売れたとも思えないので、まず古本で手に入れるのも難しいだろうと思って諦めていました。
折角抜書きしたものも、正心調息法講習会等で紹介したいとは思ったものの、どうまとめていいかわからず2年近くそのまま放ってありました。
ある年の暮れ、意を決して現在も講習会で使っている資料にまとめました(祈りの効果の検証例①)。
そして年明け、「イメージ力強化コース」のお手伝いをいただいているMさんのワークショップに参加した時、参考資料としてそれを渡したのです。Mさんもその本を読んでみたいとの事だったのですが、絶版だから手に入らないと思う、という話をしておきました。

翌週、Mさんもメンバーである会合に行ってみると、Mさんが「岩崎さん、これ」と言ってなにかを見せました。本でしたが、題名を見てもピンときません。どうも人間って、思いの他のものが眼前に現われるとしばし反応ができないもののようです。だんだんと体の奥底から「驚愕」が沸き起こってきます。本の題名が具体的にイメージを結び始めます。そう、まさにその本は「魂の再発見」だったんです。

Mさんの話によると、ある本を探しに近所のブックオフに行ってみたのだけれど、目的の本は見つからなかった。でもふと気付くと「魂の再発見」が置いてあったということです。Mさんが1週間ほど前には題名さえ知らなかった本、たまたまワークショップが有り、その時に私が資料を渡さなかったら興味さえ持たなかったはずの本が、目の前に現われたのです。「偶然にしては出来過ぎ」とは言いますが、それこそあまりに出来過ぎた話。しばし唖然とせざるを得ませんでした。

その後、一大バトルが勃発。自分が見つけたんだし、自分に必要な本だからこそ現われたと主張するMさんと、いやいやMさんはあくまで仲介役であり、その本の情報を伝えたのが私である以上、私が持つべき本である、と主張する私の論争がしばらく続きました。そのうち、正心調息法でご縁のある方がネットでもう1冊見つけてくれたため、いちおう論争は終結しました。

余談ですが、いろいろ当たってもあまり現物が出ないので、出たら買い漁って、興味のありそうな方に転売して一儲けしようかと思いました(笑)。あまりネット古書店には出てきませんが、あるときAmasonのユーズド商品の中に見つけました。そしたらビックリ。2600円の本なのですが、なぜか3500円から7000円近くで売られていました。とても買占めどころの話ではないので、その後もずっと価格の推移を見ていますが、ずっと高値が続いた後、だんだん定価に近づき、1200円前後の値付けのものも出てきました。現時点(2007年3月末)では、1700円から8000円までで8冊売りに出ています。もしかしたら私が知らないだけで、とても人気のある本なのかも知れません。もっとも復刻はしていないわけですから、そうでもないのかな?

パソコンが無事だった・・・けれど-2004年頃でしょうか、不明確です
パソコンが、というか、正確にはハードディスクドライブ内のデータが無事だったという話です。
ある日パソコンが起動しなくなりました。メーカーに電話して聞いてみたところ、どうやらHDDが動いていないらしいとの事。メーカー修理になるとのことでしたが、「HDDが動いていないって言うのは、中のデーターはどうなるんだ」と確認したら、あっさり「保証できない」とのこと。

いままで作ってきたデーターが全部駄目になるかもしれないと思ったら、頭の中がパニックになりました。どうしよう、どうしようと焦る中、こうなったら正心調息法だ、とばかりに、それこと真剣に「データが無事だった、無事だった」と25回実修しました。

結果的にHDD内のデータは無事だったのですが、この時の自分なりの驚きは「正心調息法のお陰でデータが無事だった」ということよりも、あれだけパニクッていた心理状態が、正心調息法を25回やったらもうすっかり収まっていたことでした。パニックに陥っている時に呼吸法を実践するというのもそんなに簡単なことではないかもしれませんが、やはり深い呼吸というのは心身を落ち着かせる効果が高いのだなと再確認した事態でした。

腱鞘炎が治った-2006年3月
2005年の暮れに右肘が痛み出し、やがて左肘にも同様の症状が出ました。
ただし、激痛ではありませんし、講習会等の時に持っていく荷物を詰めたバッグを持つときに感じる程度なので、一時的な疲れだろうからそのうちに治るだろうと思っていました。

でも、しばらく経っても、痛みが増すことはないものの軽くもなりませんでした。
2月の末に従兄弟が好きなゴルフを最近はやっていないという話を聞きました。やり過ぎで腱鞘炎になってしまったとの事。腱鞘炎になると、他の時には痛みが出ないにもかかわらず、ゴルフのグリップをすると痛いのだそうです。
それを聞いて私の肘も腱鞘炎であることに気付きました。

その時ようやく正心調息法でやってみようかという気になって、ある日実修しながら想念・内観を発して「腱鞘炎が治った、肘の痛みがなくなった、なくなった」とやってみました。すると、です。翌朝、肘の痛みが和らいでいるのを感じました。もう少し感覚的に言うと、明らかに快方に向かったという印象を持ったのです。それ以降、徐々に痛みは消えていきました。恥ずかしながら、なんだこんなことならもっと早く正心調息法で想念・内観すればよかったじゃないかと、改めて思いました。

現時点(2007年3月末)では、右肘の方にはまだほんの少し違和感が残っています。その後荷物の持ち方にも気をつけるようにはしていますが、でももうほとんど問題を感じないレベルで推移しています。